物語 / Story

東京の片隅、下落合。
東京都・新宿区の都心にあるとは思えないほど、その町はこじんまりとしていて、穏やかな空気に包まれています。
町の中心部を流れる神田川のほとり、春には満開になる桜並木沿いに伊良コーラの工房はあります。

この場所にはもともと、和漢方職人「伊東良太郎(いとうりょうたろう)」の工房「伊良葯工(いよしやっこう)」がありました。

伊東良太郎(いとうりょうたろう)
齢12の頃、外神田にある和漢方工房に弟子入りし、1954年(昭和29年)に自身の名を冠した工房「伊良葯工」を下落合に開業します。

そして、伊良コーラの代表「コーラ小林」は伊東良太郎の孫でした。
コーラ小林はコーラマニアとして世界中のコーラを飲み歩き、「感動するほどの究極のコーラを作りたい」との思いから、コーラづくりの試行錯誤を繰り返していました。

コーラ小林
コーラマニアだった「コーラ小林」は21歳の時、インターネットで偶然『100年以上前に書かれたコーラのレシピ』を見つけ、好奇心に駆られてコーラ作りを始めます。

コーラ作りをはじめて2年と半年。コーラ小林は祖父の遺品整理のために実家に帰りました。工房に遺された資料や道具を眺めているうちに、コーラ小林はそれらをコーラ作りに生かせるのではないかとひらめきました。
早速、火の入れ方や工程を変えてみると、コーラの風味も味も格段に良くなったのです。「コーラ小林」はコーラづくりにおける殻を破りました。

工房に遺された資料や道具
調合のメモが記入されたノート

「これは、自分にしかできないことかもしれない」

これは、自分にしかできないことかもしれない
偏頭痛持ちだったことからコーラマニアになったこと、古いコーラのレシピを見つけたこと、祖父が和漢方職人だったこと、農学部で自然の知見や実験技術を大いに学んだこと。彼の中では、一つ一つの点が1本の線につながった感覚がありました。

そんな思いから、彼はいてもたってもいられなくなり、すぐに移動販売車「カワセミ号」を作り、2018年7月には東京・青山のファーマーズマーケットで移動販売を始めます。

カワセミ号
コーラ小林の相方の移動販売車。カワセミをモチーフとし、船を模しています。

屋号は「伊良コーラ」。祖父の和漢方工房とクラフツマンシップを引き継いだことから祖父の工房の屋号を使いました。

ロゴのモチーフにはカワセミを選びました。
そして、自分が作り出したコーラには「クラフトコーラ」と名付けました。
世界で初めてのクラフトコーラ専門メーカー・専門店が誕生した瞬間です。

カワセミ
カワセミは水中に飛び込んで魚を捕らえることで知られています。空を飛びまわる鳥が、アウェーな環境である水中に自ら飛び込み、魚を捕らえること。コーラは「クラフト(手作り)できない」、「体に良くない」、そんな常識や既成概念へ挑戦していく意味を込めました。

伊良コーラに出会った人がその美味しさとクラフトである事実に驚き、
世界を見る目が少しでも変わったり、ちょっとだけハッピーになったりして、世界がちょっとだけ良くなったら幸せだと思っています。

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伊良コーラ IYOSHI COLA|クラフトコーラ専門メーカー
齢12の頃、外神田にある和漢方工房に弟子入りし、1954年(昭和29年)に自身の名を冠した工房「伊良葯工」を下落合に開業します。
伊良コーラ IYOSHI COLA|クラフトコーラ専門メーカー
コーラマニアだった「コーラ小林」は21歳の時、インターネットで偶然『100年以上前に書かれたコーラのレシピ』を見つけ、好奇心に駆られてコーラ作りを始めます。
伊良コーラ IYOSHI COLA|クラフトコーラ専門メーカー
調合のメモが記入されたノート
伊良コーラ IYOSHI COLA|クラフトコーラ専門メーカー
偏頭痛持ちだったことからコーラマニアになったこと、古いコーラのレシピを見つけたこと、祖父が和漢方職人だったこと、農学部で自然の知見や実験技術を大いに学んだこと。彼の中では、一つ一つの点が1本の線につながった感覚がありました。
伊良コーラ IYOSHI COLA|クラフトコーラ専門メーカー
コーラ小林の相方の移動販売車。カワセミをモチーフとし、船を模しています。
伊良コーラ IYOSHI COLA|クラフトコーラ専門メーカー
カワセミは水中に飛び込んで魚を捕らえることで知られています。空を飛びまわる鳥が、アウェーな環境である水中に自ら飛び込み、魚を捕らえること。コーラは「クラフト(手作り)できない」、「体に良くない」、そんな常識や既成概念へ挑戦していく意味を込めました。